9月に新調したバレットジャーナルです。
「9月のバレットジャーナル」というタイトルで、過去に複数の記事を上げていることからも、私にとっての9月は手帳をはじめ、習慣の仕切り直しにぴったりのタイミングということがわかります。
ちょうどよい、を探れるように
家事や運動や勉強など、自分のためになることを習慣化しようとするとき、以前はつい、理想形を予定表に落とし込んでいました。
最低このくらいやらなきゃ、と思う、「このくらい」の数値が高すぎる。
当然、続きません。
運動してないのにいきなり全力で疾走し、体を痛めて中止、のようなことを繰り返していました。
それまで全然やってなかったことを「毎日やれるようになりたい!」と突然思い立ってやってみても続くわけがないんですよね。
最近ようやく、ゆるい続け方ができるようになってきた気がします。
昔だったら、「続けている」とは言えないくらいのゆるさでも、記録のおかげで「続いている」と言えるのも、継続に一役買ってくれていると思います。
習慣化のコツって、ほんとうに人それぞれで、何がトリガーになって良い力を発揮してくれるかわからない。
あの人にとってはプレッシャーにしかならないことが、この人にとってはやる気の源泉になったりします。
なので、愛をもって自分をじっくり観察しつつ(短所探ししない)、自分にとって「ちょうどよい」ところを探っていきましょう。
悲観か楽観か
これを続けることによってこんないいことがある、という明るい側面にフォーカスすることで続く人もいるし、
これをしなければこんなひどいことに、という不安要素を言語化することで行動力が生まれる人もいます。
私はどちらかというと後者です。
自分の特性をどんなふうに刺激したら、よいほうに動くだろう、と、実験するみたいに考えます。
計画性がないのに計画が好き
テキストを終了予定日までに終わらせるために、ページ数を日数で割って、ノルマページ数をスケジュール帳のマンスリーページに書きこむ、というようなことをよくやっていました。
すぐに計画が狂ってしまうのに消せないペンで書きこんでしまっているから、スケジュール帳そのものを使うのがイヤになってしまったり。
逆算か、積み上げか
「自分がどんなふうになりたいか、常に考えておかないとなりたい自分にはなれない」
だから常に手帳で自分のこうありたい形、未来を確認しよう。
なるほどそうかもしれないと思いますが、必ずしも万人に合う方法だとは感じません。
自分を形作るのは、ポンと投げかけられた一瞬の機会に、どういう選択をしていくか、その積み重ねだと思います。
手帳に理想をいくら書き続けても、その一瞬の選択をさせる「何か」を無理に変えることはできない。
「この1週間はこう過ごしたい」
「三か月後にはこうなっていたい」
そんなふうに考えることはよいことですが、だからといって、いつもいつもそれを考え続ける必要はない。
自分を変えるのは、自分の起こした行動だけです。
逆算型ではない積み上げ型思考の私ならではの意見ですが、手帳も人もひとそれぞれです。
「こうあるべき」にとらわれず、自由にやればいいのです。
ネコチャン
厚みと存在感
ダイソーのA6ハードカバーから始まり、モレスキン、最終的にロイヒトトゥルムに落ち着いています。サイズはほぼすべて同じなので、保管のことを考えると、今後ほかのサイズに変えるのにはかなり勇気がいります。
無印のデスク脇キャビネットの引き出し幅にぴったり納まる。
1冊の大きさや厚みについても、このくらいが自分にとってベストだと感じます。
A6の薄い手帳の方が、持ち運びに便利なんですけど、ある程度の存在感があったほうが「書こう」という気持ちになります。
膝の上でも文字がしっかり書ける、ハードカバーの安心感もあります。
記録の内容は変わる
ずっと続けてきたからという理由だけで、それを続けなければいけない理由はありません。
記録する内容は変わっていい。自分が変わり続けているのだから、書きとめるべきことも変わって当然です。
以前はネガティブなこともきっちり記録していました。悩みの吐き出しとか、職場で起こった問題の記録とか。
ですが最近は、ネガティブな内容はデジタルに預けるようにしています。できるだけ手帳を開きやすく、親しく感じていたいから。
自分の愚痴を書きとめ、その量が溜まっていくと、手帳が「会うたびに愚痴しか言わない友人」のようになってきて、嫌いではないけれど敬遠したい気持ちが生まれてくるのでした。自分のこぼした愚痴が自分に返ってくる。
ネガティブなことはデジタルに記録し、ワードやタグ検索で掘り起こさない限り、目につかないところに保存することにしました。
記録の完全さよりも、自分の快適さの方を優先すべきです。
デジタルアナログに関わらず、記録することが好きな人は、ときどきそこをチェックしないと、逆転しがちです。