ここ数年の記録を見ると、いつも9月はへろへろに疲れ切った状態でのスタートです。
夏休みに子どもとのバトルがあったり、仕事のストレスが解消されないまま心身ともにバテていたり、毎年この時期はイケてない状態のことが多いです。
このご時世で、ちょっとカフェに行って気分転換、とか、ちょっとドライブ、とかができない状況なのも追い打ちをかけているかも。
8月最終日のデイリーログ。
今年できたことのまとめ
今年になって始めたこと・できるようになったことなどをコレクションとして書き出してみました。
何もできていないという停滞感をずっと感じていますが、手帳の記録を見ながらまとめてみると、意外にできていることがあったり、新しいことに挑戦しているということを発見できます。
フリーランスで受けている案件数が減ったりもしていますが、イデコやNISAのリターンは増えているからいいか、と思ったり、残念なことの裏側にはいいことが生まれていたりもするので、ないものを数えず、あるものを数えようと自分に言い聞かせ、「いいこと探し」をしています。
楽しいと感じることの変化
またコーピングリストを書き替えようと思っています。
これまでのリストには、外に出て気晴らしするタイプのアクションが多かったのですが、現状では実行しづらいものはなるべく省いて、行動を起こすまでのハードルが低いものを厳選してみました。
実行できないものがリストにたくさん入っていると、リストを見るだけで気分が落ち込んでしまうのです。
変わった食材を試してみる、とか、屋内でできる運動とか。
「家でひとりのときには大声で歌う」というのも追加しました。
4Kテレビを買ったら、いつも見てもないのにうるさいバラエティ番組をつけっぱなしの夫が、焼き鳥をただ焼き続けるだけの4K動画なんかを静かに見るようになったのはよかったです。彼には彼の、気晴らしが必要。
9月を過ぎて少しずつ気候がおだやかになってきたら、お散歩の回数も増やせそうです。
「待ち」の状態はしんどい
このところ、ずっと「待ち」の状態が続いています。
コロナが落ち着くのを待ち、ワクチンの順番が回ってくるのを待ち…、
受験生の子どもの来年の状況が確定されるのを待ち…、
仕事で応募している案件の採用結果(あるいは残念な結果)が届くのを待ち…、
待つというのは、強い精神力が求められます。
待ちながら、それとは別に前向きなことにエネルギーを使える人は、なかなかいないんじゃないかと思います。
以前テレビで、テレビゲームのボンバーマンを毎日やってる90代のおばあちゃんを見ました。
今より時間的余裕がなかった10年前くらいの私はそれを見て、もうじき100歳になるとしたらお迎えが来る日を待つばかりかもしれなくて、そういう悩んでも仕方ないことから気をそらすにはゲームってすごくいいツールだな、と感じた記憶があります。
気晴らしというか、いま頭の中でわちゃわちゃしているいろんなことを強制的に追い出してしまう、気をそらすアクションが、今の私に必要だなと感じます。
やってると我を忘れてしまう、という何かを持つのはとても大事で、それがどんな意味や成果があるかとかは、あんまり関係ないんだなと思いました。無心になれることがいちばん。テレビゲームは指先をたくさん使うから、脳トレとしてもよさそう。
そんなこんなで、新しいことをいくつかはじめました。
チェスとか。
ロシア語とか。
編み物は頭がカラッポにならないんだけど、でも気晴らしにはよさそうなので再開。
運動系は続かないんだけど、それでも少しずつ。
コントローラー握ってやるゲームも久々にやってみたい。
(この夏ハマった、えごまの葉の醤油漬け)
続けていることをやめてもいい
続けていることをやめるのは勇気がいります。
将来起こりうるデメリットのことを考えたら、どんなに大変でもやめたくない、と思うかもしれません。
でも、まだ起こってないことは、起こるかもしれないけれど、起こらないかもしれない。
続けることで成功、というか充足感を得た人は、「続けさえすれば必ずたどりつける」というようなことを言います。
でも、続けることをやめた、その空白に、別の可能性が生まれるのも事実です。
続けた人にはたどりつけなかった場所に、たどりつくことができるのです。
あきらめなくては進めない、というときがあるものです。
あのとき手放したからこそ、未来で気持ちよくリスタートできる道が開ける、ということもある。
断捨離と一緒で、新しいことを始めるには、それまであったものや続けていたことをいったんなくして、スペースをつくることが必要になります。
やめるかどうか検討することのひとつに、「手帳に何を書くか」ということも含まれるな、と感じます。
これまでの手帳の記録を見返しながら、そんなことを考えた8月の終わりでした。