新しい本を出そうと思いながら、うまくまとまらなくて、去年くらいからウンウン生みの苦しみに悶えています。
売れているノート術の本や、セミナーを開いている人の記事を見ると、かならずといっていいほど出てくる、引きの強いワードを、つい使ってしまいそうになるけれど、自分の伝えたいことはそこじゃない、と思って、ゴシゴシ消す、ガリガリ削る、の繰り返し。
ノート術の取材受けたり、文章書いたりしてたら気づくんですけど、「やりたいことリストを書く」とか「自分の『好き』『ビジョン』を深掘り」とかって、短時間でなんとなく「自分にとって役に立つことをした」という充実感を得られるドーピングみたいなワークで、勧める方からしたらお手軽なんですよ。だから何度でも特集になるし、いろんな人がセミナーやワークショップを開く。
もちろん効く人もいると思う。新しい発見は少なからずあると思う。特集したり、セミナーを受けたりする価値はある。
それをきっかけにして花開かせる人もいるでしょう。
でも、それさえやればすべて解決、という、万能薬ではないし、特効薬でもない。
ほんとによい効果があるのかなと思って「ウィッシュリスト」を書いていますが、どうも私向きではないようです。ウィッシュリストのページがあると、自分が前向きな人間の気がしてうれしいので、ただそれだけで書いているという向きもある。
手帳を使って夢をかなえる系のメソッドで重要視される「実行力」すらも、特効薬にはなり得ません。行動してみてすべてうまくいくなら、みんな苦労しない。
でも「行動に起こすこと」「今の行き詰まりを打開するための策を考えること」は、即効性はないけれど、年単位、さらには10年20年という長いスパンでじわじわ効いてくる。
点と点をつなぐ
去年の春ごろ、英文履歴書を書く必要が生じ、元上司であり現よい友人である方のアドバイスを受けながら、自分の経歴書を英語で作っていました。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、英文履歴書は、結構盛りめに書きます。自分の長所・強み・できることをがっつり書きます。
この、「自分ほめほめ経歴書」を作ったことで、自分の気持ちに少しよい変化がありました。
自分の20年を俯瞰して、今ある自分の「うまくいったこと」は、これまで自分が打ってきた「点」と「点」をつないだライン上にあるのだということに気づいたからです。偶然だと思っていたことも、線をつないでみれば必然のように見えること。失望感のなかで、特に期待もしないまま歩を進めてきたこともありますが、その経験すらも、必要であったのだという発見。
スティーブ・ジョブズのスピーチで有名な「Connecting The Dots」ですね。
もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。
繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。
これが自分の人生の中にも起きていた。
人生を逆算して、最適なルートを見つけ、その通りに進むなんて、よほど運や環境に恵まれた人にしかできることではありません。
結婚や、出産、ライフイベントの中で、自分の思い描いていたものをあきらめることが多かった。
もちろん、手に入れたものもたくさんあるわけだけれど、1年先のことすら不確かな中で、「自分の好き」だけを追いかけるなんて全然無理で、いつも不本意な選択を強いられていると思っていました。
でも、その不本意ながらやったこと、すらも、今につながる「点」のひとつになっている。
「個人のキャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決定される」
–ジョン・D・クランボルツ
人の心はストーリーで動く
転居の多い人生で、そのたびに求職活動をしていますが、大学時代の就職活動のひどい状況がウソのように、ほぼ望んだ職場に採用してもらえています。
それは、私の履歴書に、ストーリーがあるからだと思っています。
内容的には、強烈なアドバンテージはありません。
でも、私の書いた職歴から、担当者があるストーリーを読み取る。
私は相手に読み取ってほしいストーリーが伝わるように、経歴書を書いている。
(それは決して、「相手に気に入ってもらえるようなストーリー」ではありません。)
点と点をつないでストーリーにし、相手に伝える。
これは、他人に向けても有効ですが、なにより自分自身にとって有効なのだと、最近感じます。
人の心はストーリーで動きます。
自分自身の心も、例外ではありません。
ノートに残した記録によって、自分の心を動かし、行動につなげることができる。
チャンスに気づき、点をつないでいくために
書くことで、将来につながる「点」を可視化できる。
あとからつなぎ合わせる点にするために、行動に移し、それを記しておく。次の行動へのハードルを低くするために。
未来の予測が立たなくて、すばらしい計画を立てられなくても、今に集中することはできるし、それこそがやるべきことなのだと思います。
将来のキラキラした自分を思い描けなくても、夢に続く道が行きどまりだったと気づいても、「行動すること」と「記録すること」とを両輪にして、淡々と続けられる仕組みがあるといいなと思っています(その仕組みは機械のマニュアルみたいにひとつではなくて、そのときどきで大きく変えたり調整する必要があるのだけれど)。
そういう本を書きたい。