在中国上大学



Chinesepod高級64 在中国上大学を聴きました。
以前は、全ての単語を完璧に聞き取り、聞きとった全ての単語をものにしてやろうなどと高い理想を掲げすぎ、なかなか続きませんでしたが、通勤途中の暇つぶしがてらわからない単語のピンインを手帳に書き写し、それを昼休みに調べる、無理に覚えようとせずそれっきり、というスタイルにして以来、不思議と続いています。
人間、気負いすぎるとだめですね、やっぱり。
来期からのラジオ講座もこういうスタンスで行けば続くかしら。
さて閑話休題、在中国上大学。
留学経験のある人にとっては、他人事とは思えない内容だったのではないでしょうか。
日本での大学生活ももちろん、Jennyたちの言うように、人生の中で一番楽しく羽を伸ばせる期間ではあるのですが、中国での大学生活はまた、日本のものとは違う「濃さ」と「楽しさ」がありました。
特に私にとっては、留学期間は、人生の中で一番勉強したと自信を持っていえる日々でした。対話の中で語られているように、「住校」大学構内に全てが揃い、その中で暮らす生活というのは、周囲の人々との関係がとても密接になってきます。中国語の勉強にどっぷりと浸かり、いい意味でも悪い意味でも濃い人間関係の中で暮らした日々は、強烈な印象を私の胸に残しています。
深夜、ノートから目を上げ、窓のカーテンをふと開けると、くの字形の寮の、友人の部屋の明かりもついているのが目に入る。人恋しくなってフラフラと彼女の部屋に行き、貴重な豆から引いた珈琲をひいて淹れてもらいながら、他愛もないことを話し続ける。
あるいは別の夕暮れ、友人たちと構内の購買部に啤酒を買いにいく。首をビニール紐でくくられた6本の緑色の瓶をいくつも手に持ち部屋に戻る。砂埃の舞う帰り道、瓶がぶつかる高い音と、学生たちが夢中になる卓球の球がラケットにぶつかる軽い音が響いている。どんどん日は暮れ、小さな白い球はぼんやりと夜の気配に溶けていき姿は見えず、弾むその乾いた音しか聞こえない。暮れ色ににじんでいる、前を行く友人の白いシャツを見ていたら、なんだか泣き出したいような気持ちになる。
そういう光景が、何の前触れもなく、頭の中で再生される、音のない8ミリフィルムのように。懐かしくて、もう二度とは戻れない時間と場所に、胸が締めつけられるよう。
あらあら、Chinesepodの話だったのに、どんどんそれていってしまいました。
あの貴重な時間を無駄にしないよう、日々語学学習にこれからも励みます♪

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コメント

  1. rokoko より:

    marieさんは 留学時代「恋愛学習両不誤」だったの?(笑)
    あぁ~私もなんだか懐かしい風景を思い出しました。
    私も留学したんですけど、深夜それほど詰めて勉強した憶えもなく(二人部屋だったし)・・・(恥かし~)。
    ただ日本で仕事を辞めて行ったせいもあり、中国語ばかりやっていたらいいという素晴らしい時間がとても「贅沢」でした。
    思い出すのは長安街。前門などからの帰り道をどこまでも続くかのようなだだっ広い道(車が少なかった)を、太陽に向かって西へ西へと・・自転車を走らせて・・・。暮れていく空は薄紫色だったり、オレンジだったり。とにかく「今、私は中国で生きている実感」に浸れる時でした・・。

  2. Marie より:

    >rokokoさま
    こんにちは。
    >marieさんは 留学時代「恋愛学習両不誤」だったの?(笑)
    だったらいいんですけどね…(笑)
    素敵なロマンスはありませんでした、残念ながら。
    人のロマンスには首をつっこんでましたが。
    そうですよね、あれだけ中国語の勉強にがむしゃらにうちこめる時間は、きっともうないんじゃないかと思います。もし歳をとってからもう一度行くとしても。
    私は自転車に乗れなかったので、ひたすら歩いていました。
    市街地図の左端にうちの大学はあったんですが、右端にある百貨大楼まで歩いていって(帰りはタクシー)、友人たちに恐れられていました。
    今でも目を閉じると、よく歩いた道の光景が鮮明に思い出せます。毎日楽しくて楽しくて仕方ない、というわけではなかったのに、今ではつらかったこともいい思い出です。(陳腐な言い回しですが)