5月になりました。
あっという間に1年の4分の1が過ぎ去っていったと思ったら、5月の4分の1もどこかへ行ってしまいました。
「その時間は煙のようにどこかへ行ってしまったわけではなく、日々ちゃんと、いいことも悪いこともありました」と教えてくれるのが記録です。
走り書きでもなんでも、アナログでもデジタルでも、記録が残っているからこそ気づけることがある。
5月のバレットジャーナル・悩む前に動くための仕組みづくり
4月は生活に変化があったり、子供がいろいろやらかしてくれたりで、自分の時間がほとんど取れませんでした。時間があっても考え事で消えてしまったり…。考えても仕方ないことを考えるのは時間と精神力の無駄遣いなので、5月は「悩む前に動く」ための仕組みづくりをしようと思います。
悩んでいる時間はありません。
探しもののための時間を記録して、ものを探す回数を減らす
「統計によると、人は1日10分、一生だとなんと153日分もの時間を探し物に費やしているという」
アレはどこ? 人は人生の150日以上の時間を探し物に費やしているという調査結果
家族、特に子供がいると、ひとのために探しものをする時間も追加されるので、さらに多くなりそうです。
いったい1日に何度探し物をしているのか、しばらく「アレどこにある?」と聞かれた回数・探した回数およびその対象物を記録してみようと思います。
記録することで「失くしやすいモノ」が何かもわかるし、注意深くなることを期待して。
家族からの「アレどこ」で一番多いのは、つめきりとリモコンです。
私がよく探すのは、買って帰って袋のままどこかに置いてしまい、どこにいったかわからなくなったモノ…。
「この時間にこれをやる」をリマインドするシステム
4月は、疲れがたまっていたのか、体調があまりよくないことが多かったので、空き時間をだらだら過ごしてしまっていました。
寝るまで本を読もうと思って布団に入ってすぐにウトウトしてしまい、夜中の3時ごろ目が覚めてスマホをぼんやりいじったりとか。
5時に目を覚ますのに、やるべき家事にすぐ取り掛かれず、ぐずぐずと布団の中で本を読んでいたりして、結局そのしわ寄せが夜に来て、疲れた体で家事をするのにすごくストレスを感じたりとか。
さっさと体を動かして掃除なりなんなりすればストレス解消にもなるのに、ダイニングテーブルに顔を伏せて子供のことを悩んでみたりとか。
自分がやりたいこと、自分のためにやるべきことは、その時間が来たらアラームでもかけておいてちゃっちゃとやればいいのに、なぜか心が超重量級になってしまっていて、なかなかそこに向かえない。
この状況を何とかするための仕組みをつくることが5月の目標です。
この仕組みづくり、アナログ手帳だけではどうしても難しい。
アナログとデジタル、そして自分の行動への橋渡しがうまくできる仕組みがうまくできるといいのだけれど。
しばらく「たすくま」というアプリを使っていたのですが、最近Androidスマホをメインに使うようになり、「たすくま」の通知をうまく活用できなくなりました。
今のところは手元にiPod touchを置いておいて、朝の時間、夕食以降の時間帯にしぼって使っています。ほんとうはスマートウォッチと連携して、随時ブルブルお知らせしてほしいんですけどね…。
Androidにもタスクシュートが実践できるアプリがあるので、余裕ができたら使ってみようかと思っています。
ストレスを感じたことを1行おきに書く
嫌いな人に対して「この人のことが私は嫌いだ」と思いながらつきあっても絶対にうまくいかないように、ストレスを感じることに対して「これは私のストレスの元凶」と思いながら対処するのは心身ともにきついことです。
「いやなことノート」の類のノート術がありますが、私はネガティブなことを書きつけるとその思いが固定・増幅されてしまうたちなので、あまりノートに書かないようにしています。
ですが今回、あまりにもしんどいことが多くて、「しんどかったこと」を箇条書きで書き出してみました。
少し時間をおいて冷静になって、周囲のスペースにあとから解決策となりそうなことを書き足してみると、意外に現実的な解決策が複数出てくるのです。
好きな人、尊敬する人を思い浮かべて、「あの人だったらこういう時どうするかな」と考えてみるのもいい方法でした。
同じ出来事が起こったときに(できるだけ起こってほしくはないけど)、次は少しだけラクに冷静に対処できるようになるといいなと思います。
ノートを開いて考える時間を取ることすら忘れていたら、かなり余裕がなくなっている証拠なので、悩みごとを頭の中でぐるぐるループさせているよりは、たとえ「いやなこと」を書くのが嫌でも、いったんノートに吐き出した方がいいな、と実感しました。
「ぐちゃぐちゃでいいページ」を作る
SNSでバレットジャーナルのタグを追いかけていると、どのページを開いてもきれいな字で書かれた箇条書き、あるいは、端正なラインで構成されたトラッカーが出てこないといけないような気がしてきませんか?
私自身、ほぼ日手帳が「うまく書けない」という理由で続かなかったので、「手帳のページをきれいに書かないといけない」というプレッシャーに押しつぶされてしまう気持ち、よくわかります。
私も最近、その日の朝にきれいに並べた箇条書きの下に、走り書きをしようとして「でもせっかくきれいに描けているページをぐちゃぐちゃにしたくない」とためらったことがありました。そして同時に「これはよくない!」と感じました。
多分、今使っているのがモレスキン(1冊でダイスキンが20冊買える)だからというのもありそうです。貧乏性な自分…。
頭に思い浮かんだことが消えてしまう前に素早く書き留めておけるのが紙のノートの良さです。どんなにフリック入力が速くても、記号や略語を駆使しての走り書きにはかないません。音声入力もいいですが、時と場所を選びます。
そこで、デイリーページの次の見開きページを「書きなぐる専用ページ」と決めて、とにかく書いてしまうことにしました。あとから清書してもいいし、メモのそばに日付と時間を書きつけて、ぐるっと丸で囲っておいてもいい。
ノートの最初のINDEXに、「ぐちゃぐちゃページ」項目を作って、ページ数を書き込んでいくのもなかなかおもしろいものです。
職場ではものわかりよく常に人の話に耳を傾け、厄介な作業にも忍耐強く几帳面さを発揮し、手帳の中身もきっちりきれいで、ネガティブなことはひとつも書きつけない、そんなふうに「きちんとしよう」と自分に命じすぎるのはすごくしんどいこと。
私のバレットジャーナルは、私を解放するために使おう、と、5月の新しいページを前に、あらためて思っています。