やっと、やっと、読み終えました。

「狼圖騰」にくじけ、ほったらかしていた余華の「兄弟」下巻に再び着手。
寝かせたお陰で李光頭の濃すぎるキャラにもそれなりに馴染み、林紅目線から見ていやでいやでたまらなかった彼の押しの強い性格も、時間を経て状況が変わればあら不思議、まるで老婆が若い女に変わるポーリングの騙し絵のように、ゆるぎない精神を持ったいい男に見えてくるから不思議。賛否両論ある下巻だけれど、過去の作品に比べて主人公の描写に奥行きが出ているように私は感じました。
今回も、つらい場面でなんどもくじけそうになりましたが、ぐっとこらえて最後まで読み終えました。上巻の始まりが「女便所覗き」だったので、おシモの話満載だろうと予測はしていましたが、後半の「処女ミスコン」の描写のしつこさにいたっては、もう笑うしかありません。あまり品のよくないお話もりだくさんですが、最後に心に残るのは李光頭のゆるぎなさです。彼は結局、お金に自分自身をのっとられはしなかった。そこが彼のすごいところ。
ネタバレを含みますが、感想を少し。
この物語の大部分を、私は林紅に感情移入して読んでいました。
女だったら便所覗きのチビの李光頭より、ハンサムで文学青年の宋鋼を選ぶに決まっているし、かつかつの暮らしを送っていれば、出費には厳しくなるもの。裕福になった李光頭がこれまでの自分の彼に対する仕打ちにも関わらず、優しい声をかけてくれれば、ほだされる気持ちもよくわかる。そうして宋鋼の死後、彼女は一体どんな気持ちで新しい商売を始めたのか、それを思うと胸が痛みます。
けれど一番衝撃的で、心に刻み付けられた場面は、文学青年だった宋鋼が、お金に苦労してばかりの生活の果てに字を忘れ、手紙すら満足に書けなくなっている自分に愕然とするシーン。身体に刻まれた傷も可哀相ですが、この場面の宋鋼が一番哀れでした。
李光頭が一文無しから大富豪になる過程で、同じく富への道を歩む人、反対にどんどん下り坂になる人が出てきます。そこには、「いい人、親切な人が幸運をつかむ」といった浪花節的な展開は全くありません。その容赦なさが現在の中国を象徴しているようで、とても印象に残りました。かといって金儲けができれば幸せになれるのかというと決してそうではないことが、発財の道からは外れてしまった小関剪刀、そして宋鋼死後の李光頭、林紅の姿に象徴されています。
お金は大切。お金がなければ日々を暮らしていくことはできないし、病気を治すことも教育を受けることもできない。けれど人は、ささやかな暮らしを営むに足るお金を得るだけでは満足せず、もっと多くをほしがり、お金のために肉体関係を持ち、人を騙し、大切な人を傷つけ、自分自身をも傷つける。そうして人はどこへ行くんだろう、と、読み終えてうんと考えさせられました。
先日、池澤 夏樹の「光の指で触れよ」を読んで深い感銘を受け、現代消費社会におけるお金に縛られた暮らし、について深く考えさせられました。上記の本では、それに代わる一つの方法を示しています。そこまで完璧にはできなくても、それに似た選択はいくつかできる。日本の人たちはもうこういったもう一つの選択肢を探し始めているんだという気がします。

「兄弟」では、激動の半世紀を生き抜き、結果、お金がいくらあってもそれだけでは幸せではないのよ、という李光頭の姿をくっきり描いた余華は、その次の時代をどうとらえているのでしょうか。中国の人たちはこれからどう変わっていき、どんな新しい時代を迎えるのでしょうか。
日本語版、アニー・ベイビー「さよならビビアン」の泉京鹿が訳しているというのをどこかで読みましたが、なかなか出版されませんね。どんなふうに訳されるのかとても楽しみです。

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