押し入れの奥から古い手帳を取り出してきて、ぱらぱらとめくってみました。
以前は1年間使える市販のスケジュール帳を使っていました。
覚えているつもりでも、案外たくさんのことを忘れていて、記録するって大切だなあと感じます。
なにげなく挟んでそのままになっていた紙切れが、今の私にとってはなかなか重要な意味を持っているものだったので驚きました。
情報が役立つかどうかは、後になってみないとわからない。
1年間の手帳は全然続いていない
いろんなサイズ、いろんなメーカーの手帳を使ってきました。365日の日付が入っていて、1年間を通して使うタイプの市販の手帳。ほぼ日手帳や無印のスケジュール帳、ハイタイドやマークス、何でも揃っているなという印象です。
トライストラムスは結構気に入って使っていました。今も同じレイアウトで販売されてるんですね。
実は、というか、予想通り、というか、手帳の後半は空白のページが目立ちます。
チェックリストはまめに書いていますが、日ごと・週ごとの振り返りをしているページは後半に行くにつれて少なくなってきます(秋頃に盛り返すパターンが多い)。
ほぼ日手帳は1日1ページなので、空白をごまかすためにいろいろ貼っているのが今見るとなかなかよいです。映画のチケットがたくさん。
手帳を1冊、毎日フル稼働の状態で使い切るってなかなか難しいんですよね。
手帳を続けるコツ
そんな私が、ここ数年、年に3~4冊のペースでノートを使い切っています。
A6サイズの同じノートを重ねた図。
サイズ違いのノートに浮気したこともあるので、これがすべてではありませんが。
2011年にモレスキンを使いはじめ、1冊のノートになんでも書き込んでしまうというノート術の快適さを知りました。
Moleskine de 例文帳 | Mandarin Note
初モレスキンでやりたかったのが、語学学習・日常的に用例を収集している、例文帳作り。作っただけで終わらせない、何度も見直せる例文ノートの構成をずっと考えていましたが、モレスキンの大きさ・厚さ・丈夫な作り…
同じころ、ダイソーで売っているモレスキンによく似たA6ハードカバーノート、通称ダイスキンと出会います。
モレスキンを前にして「高級なノートにこんなくだらないこと書けない…」と思うようななんでもないことでも、ガンガン書いていける気安さがよかったのか、以降、予定やタスク、リストなど何でも記録するノートとして常に携帯するようになりました。
私にとって、手帳を続けるコツは、この「何でも書けること」に尽きます。
普通のスケジュール帳だと、1日に書ける量、書くスペースは限定されています。メモするときに、「今思いついたこれを手帳に書くべきか、それともメモ帳に書き留めるか、手帳に書くならどの部分に書けばいいか、分量は多すぎないか」というような判断が必要になってきます。
わずかなことですが、この書く内容を制限される感覚が、少しずつ少しずつ手帳の存在を私から遠ざけていっていたように思います。
思いついたこと、タスク、なんでも時系列で1冊のノートに投げ込んでおいて、インデックスなど検索を可能にする要素も加えると、Evernoteなどデジタルの記憶ツールよりも便利に使えるようになり、手帳をそばに置いて開く習慣が身についていきました。
ユビキタス・キャプチャ
現在もBullet JournalのKeyなどを活用して、ノートによるタスク管理をしていますが、こうして昔のノートを見ていると、今自分がBullet Journalingとして利用している要素は、Bullet Journalを知る前からあったんだなあと気づきます。(むしろ、現在普及している形のバレットジャーナルは、私のノートとは全然違うものかもしれないとも思います。)
例えば、とにかくどんな情報でも時系列で1冊のノートに書いていって、INDEXやタブ・ページ番号を使って検索性を上げるのは、モレスキン関連で知った堀正岳氏の本や「ユビキタス・キャプチャ」関連のweb記事で知った気がしますし、
こういった本も読んで参考にしていました。
書く分量を制限されない。
書く内容を選別しなくていい。
あとから検索しやすい工夫。
1日のタスクに集中できて、タスクを完了したかどうかチェックできる構成。
市販の日付入りの手帳ではないノートを使うことで、こういった条件がすべて満たされ、私にとっての「続く手帳」が生まれました。
いろんなノート術、いろんなノートとの出会いがあって、自分の習慣が形成されてきたんだなと思うと、とても感慨深いです。
特に「のちのちに役立てるため」と思いながらノートを使ってきたわけではないですが、これだけの自分の記録(10年以上!)が蓄積されていると、ノートの中に「今実を結び始めているこのコトの種をまいたのは、この頃だったのか!」と、自分の成長のスタート地点のようなものも確認することができるのです。
これは予想外の、そしてとても嬉しい発見でした。
記録を続けていくことでしか見えないもの、感じ取れないものもあることを、積み重なるノートが教えてくれます。