神なるオオカミ 35章



ようやく最後まで読みました。「講座と対話」まで含めて。

「講座と対話」は著者による解説なのかと思っていたら、ここにも陳陣たちが出てきてちょこちょこ動くんですね。ダイナミックな本編のストーリーと比較して、この部分はどうも説教くさくて疲れました。でもどうしても書いておきたかったんでしょうね。

さて小狼が最期を迎えるこの章をどうやってまとめようと、ここ数日考えていましたが、いい方法が思い浮かびません。

エンディングの、小狼が空を駆けていく光景の哀しさ美しさと、無残にも荒らされ打ち捨てられた草原の風景とのコントラストが衝撃的で…、ここに未知の単語を並べていくのも無粋な気がします。

狼らしさ、狼としてのプライドを捨てなかった小狼が、その狼らしさのために命を失ってしまったこと、
陳陣の心に生涯とどまり続けるであろう後悔、
外からやってきては奪い去っていく人々により、風前の灯となった草原の「命」…

野生の小さな命を育てるというストーリーから、ローリングスの「子鹿物語」も連想していて、結末はなんとなく想像はついていたのですが、なんとも悲惨な物語でした。

(「尾声」以降で)ビリグたちがやってきた方法で草原で暮らし続けているガスマとバトたちに、ひとりの読者として一縷の希望を見出そうとしましたが、著者の描写は悲観的です。この小説が爆発的ベストセラーになったのなら、少しは改善のための努力がなされているのでしょうか…。

人間は砂漠化=自然破壊、と考えますが、結局は砂漠化して慌てふためくのは人間で、地球本体から見れば砂漠化も、壮大な時間の中のほんのちょっとの間のささやかな現象にすぎなくて、人間が自分たちの首を絞めて死に絶えたあと、新たに芽生える命と生き残った命による、新しい時代が始まるだけだともいえるのかな…

godzillaさん、「尾声なしで終わった方が…」とおっしゃっていましたが、ぜひしめくくりをお願いします!
本当は全部原書だけで読み通したかったのですが、自分の担当以外のかなりの部分を邦訳に頼ってしまいました…。
ですがこの分量の文章を、半年余りできっちり読み終えることができたのは、読書会に参加してくださった皆さんのお陰です!お忙しい中、本当にありがとうございました!
機会があればぜひ、またやりましょう♪

シェアする

フォローする

スポンサーリンク

コメント

  1. arip より:

    お疲れさまでした。
    私の担当章だと巴図の立場がはっきりしなくて、尾声でそんなに懐かしがるほど出てきたかな~という印象です。音声が無かったので私は「講座と対話」は聞きませんでした。尾声は読む方にとっては無くても良いと思いました。akiraさんのおっしゃるように恋愛話が有る方が良かったかもしれません。
     中国語がこんなに表現力があるとは知りませんでした。特に良い読み手に当たって良かったと思います。全体の一番の山場は馬がやられるシーンでしょうか。
    子鹿物語がそういう話とは知りませんでした。
    本家カフカの会はとっくに終わっているのかと思ったら、良い勝負なんですね。本家に習って《海辺的卡夫卡》でも行きますか。

  2. Marie より:

    >aripさん
    aripさんのおかげで、自分ひとりだったら読めなかった本を読書会で読むことができました。ありがとうございました!ブログ記事にアップした頻度は、aripさんが一番多くて、参加者をはじめ他の方々の参考になったと思います。そちらにも感謝感謝です。
    馬の大量殺戮のシーンはすごかったですね!物語全体を通して、言葉よりは映像で頭に残っています。
    子鹿物語は、子供ながらに矛盾を感じて憤ってしまう話でした。人間のエゴだけで子鹿を飼ったすえに殺しちゃうんですから…。でも小狼も同じようなものですね。子供向けに著者が書いた「小狼、小狼」という児童書があるようですが、こちらの読後感も同じような後味の悪さなのかしら…
    …う、海辺のカフカ!村上春樹の文体はどのように中国語に置き換えられているんでしょうね?英語はなかなかだという話がありますが。