未然に防いだグッドジョブは記憶に残らない



先日救命講習を受けまして、AEDのあつかいかたや気道異物除去の方法について学びました。

講義を聞きながら、そういえば子どもが小さい頃、危機一髪の事件があったなあと思い出しました。

食事中、無言でこちらを見る幼児の顔色が見る間に変化。とっさに後ろから抱きかかえ、頭を下にして背中をたたいたところ、のどの奥からポーンと出てきた大きな梅干しの種。

本当に数秒のことでしたが、運が悪ければ大変なことになっていたのだと思います。

そう考えると、急に走り出そうとした子供の手をハッとつかんだこと、転倒しかけた子どもにぎりぎりで手を添えたこと…、似たようなことは数えきれないくらいあります。

ふと思い出して友人に久しぶりに電話をかけたら、大変なことが起こっていた。たまたまそこで誰かと話す時間があったことで結果的に友人は最悪の選択を取らなくてすんだこと。そんなふうに、虫の知らせに突き動かされて偶然起こったことが功を奏したことも少なくありません。

大変な出来事が起こってしまい、それをリカバリした経験というのは、人の記憶に残るものですが、ことが大きくなる前に未然に防いだことというのは、意外に本人も忘れてしまってるものでしょうか。

メンタルの不調が悪化するのをくいとめた

コロナウイルスがニュースになりはじめる前かそのあとか、ちょうどその頃から体調がおかしくなりました。
視野が狭くなったように感じたり、ホットフラッシュのような症状が出たり。
年齢的にも更年期の体調不良かなと思っていたのですが、今から考えると、職場が合わないことによるメンタルの不調からきていたようです。

1年以上たって、ようやくそのことを認められるようになりました。

婦人科を受診して特に重大な原因は見つからず、「精神科を受診するのも意味があるかも」との助言を受け、メンタルクリニックを訪れました。いくつか検査を受け、その検査結果を聞いて、今の体調不良が現在の職場に由来するのではないかという自分の仮説に納得するところがありました。数値的には発達障害の傾向はあるけれども、検査だけでは診断しがたい、というコメントでした。

医師からは症状を抑える薬を飲みながら勤務を続けるというサジェスチョンも得ましたが、契約期間がちょうど終了する時期でもあったので、思い切って仕事を辞めました。

今振り返ってみると、結果的にこの判断は間違っていなかったと強く思います。
あのとき仕事を辞めていなかったら、状況は悪化して、今こんなふうに暮らせていないかもしれない。
何より、タイミング的に今の仕事に就けていなかったことを考えると、あのときの自分グッジョブ、と褒めてやりたいです。

メンタルの不調のはじまりは見つけにくい

今でも不思議なのは、当時の職場を「とても耐えがたい」とは感じていなかったことです。

おなかが痛い時に病院の診察で痛みの程度を聞かれるように、あのころの大変さを1から10の数字で表すと、たぶん「5ぐらい」と答えます。
その前に勤めていた、毎日のようにマウンティングしてくるうっとうしい同僚がいた職場の大変さの方が、数値的には大きかったと思います。7くらい。

でも、今考えてみると、きっとかなりしんどかったんです。
人間、しんどさが9とか10とかになると、それを認めるのがこわくて自分自身の感覚をだましてしまうんだと思います。正常性バイアスというのか。

そして、心は「まだだいじょうぶ」と思っているのに、体の方に症状が出てしまう。

いま大丈夫なのは

婦人科もそうですが、メンタルクリニックも、なかなか行くのに勇気が要ります。
私が仕事を辞めたタイミングは、たまたま契約期間が終わりかけだったからよかったけれど、そうでなければ「まだがんばれる」と無理をしてしまったかもしれない。

AEDを扱う講習で、講師の方は何度も「命が最優先」とおっしゃいました。
メンタル、特に自分自身のことについては、判断に迷ってしまうことも多々あるでしょうが、やっぱり、命が最優先、健康が最優先なんだと思います。

ニュースで心を痛めることが多い毎日です。どうぞご自身を大切に。

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