オンライン中国語原書会、7月の課題本、ようやく読み終えました。
福貴が博打ですって素寒貧になってしまうところなどは覚えていたのですが、細かい内容はすっかり忘れていて、お店の女の人に自分をおぶわせて嫁の実家の前を通るところなんて、ほんとにこいつサイテーだな!と嫌になってしまいました。
この場面だけではないし、余華の他の作品の登場人物に対しても感じることなのですが、ここまでアホなやつにする必要があるのだろうか、と疑問に思います。
一番泣けた(心を揺り動かされた)シーンはどこですか?
凤霞と有庆の死はつらかったです。読みながら成長の過程をともにしているので感情移入しているのと、自分が年齢的に親目線で読んでいるからというのもあると思われます。
もうひとつ、悲しいシーンではなく、凤霞と二喜の幸せそうな場面で何度もうるうるしました。
あなたにとって一番気になる人物は?
家珍はどうしてあんなクズに尽くせたんだろうというのが本当に謎です。
何度か読み返すなかで、いろいろ不思議な点は出てくるのですが、特に家珍の選択に疑問が残ります。
女性がひとりで生きていける世の中ではなかったから、あるいはひとりで生きていく決断ができない弱い人だったから、添い遂げるしかなかったのかしら。もうちょっと冒頭部分で福貴の家珍に対する優しさとか、「こんないいところがあるんだったら離れられないな」と思わせるところがあれば納得できるのですが。私ならとっとと実家に帰ってますが、そうすると文革でつらい目に遭うんですよね…。しんどい時代です。
気になること、もうひとつ
私が読んだ1998年出版にはあって、最近買ったKindle版にはない部分がある気がするのですが、気のせいでしょうか。冒頭の荤故事に関連するエピソードなんですが、他の本の内容とごっちゃになって記憶しているのかしら。
その他いろいろ
余華はインタビューで、自分のおじいさんが福貴のように家の財産を全部すってしまった、と話していました。
私の親族にも2世代前くらいにそんな人がいて、近い人にとっては大迷惑だけれど、なかなか豪快で愉快なひとで、私は嫌いになれませんでした。きっと余華もおじいさんのことをそういう目で見ていたのかしらと親近感を覚えます。
また、戦に巻き込まれてしまった福貴のエピソードは余華自身の父親から聞いたものだったり、余華が子供の頃には、福貴のように時代に翻弄され、驚くような経験をした人も少なくなかったようです。
人生の岐路に立ち、どっちに転んでも結局しんどいことが待っているというような厳しい時代。
そういう時代の中で、凤霞と二喜が愛に満ちた日々を短い間でも過ごせたことは、すごくラッキーなことだったんだろうなと思います。
私がこの作品を気に入っているのは、苦労をしまくってもなぜか楽観的な福貴のあっけらかんとした性格と、ほかの文革を描いた作品などで見られるような、親しかった人を裏切ったり裏切られたりというドロドロした人間関係がほとんど描かれないところです。
久しぶりに読み直して、ストーリーを知っているということもあり、あまり読むスピードは上がりませんでしたが、それでもやはりページをめくるとぐいぐい引き込まれる面白さがありました。
天天さん、すてきな企画をどうもありがとうございました!
8月は曹文轩の作品を読むという企画で私が担当します!
曹文轩は今年の国際アンデルセン賞を受賞しています。
8月下旬にニュージーランドで国際アンデルセン賞の授賞式が行われるようなので、とてもタイムリーな企画になりました!!
《草房子》《根鸟》《三角地》《山羊不吃天堂草》あたりは読んでいるので、8月に入ったら、《青铜葵花》《细米》《甜橙树》を読んでみようと思っています。
児童書ですが読みごたえがあり、大人でも十分楽しめる作品がそろっていますので、ぜひチャレンジしてみてください!
この「よあけまで」がすごく好きです。