バレットジャーナルで「コントロールできないものへの執着」を手放す



脳は一度にいろんなことを考えられないといいます。

「今」にフォーカスすると、基本的にその瞬間の悩みや不安は考えの外にとばされます。

「マインドフルネス」って、たぶんそういうものなんだと思う。

コントロールできないものを手放す

悩みや不安は未来からくるもの。

対策をとれば悩みや不安自体を取り除けるものもあるけれど、自分ではどうしようもできないことの方が多い。自分ではコントロールできないものについては、いくら思い悩んでもしかたない。

自分でコントロールできないもの、悩んでも解決しないものには、フォーカスしない。

フォーカスしそうになったら、頭の外にとばす練習をしておくと、ラクになりました。

そのために運動する人もいるだろうし、絵を描く人もいるだろうし、人それぞれ。

書き留めることと振り返ることは両輪。

バレットジャーナルは計画的に生きていくためのツールではありません(当社比)。

予定を書き出して、その通りに生きていくだけの人生なんて、味気ないし、ありえない。

計画どおりに行かない突発的衝動的なことを(自分から出てくる、他者から入ってくる)どう制御していくか、というのが、私にとっての「書くこと」の目的。

「こう言い返せばよかったせりふ集」

私はどんくさいので、トゲや含みのある言葉を投げかけられたときに、野球のバットでボールを打ち返すみたいな防御反応が起こせません。

トゲやぬるぬるのついた言葉をいったん両手で受け取ってしまい、少し時間がたってから「なにこれ、なんかいっぱいついてて気持ち悪い、痛い」ということになってしまう。

不快なものを引き受けずに、パコーンと打ち返すスキルがあったらどんなにいいかと思って、悶々としていたこともあります。

それで、ノートに、「こう言い返せばよかったせりふ集」なんてページを作り、どう言い返したら自分がスッキリするのかというシナリオを書いていく。(あらこう書いてみると結構気持ち悪い)

そういう防御策を講じなければいけない相手が身近にいると、その相手の存在ばかりにフォーカスしてしまい、だんだん自分が消えていきます。

自分のことを考えるリソースが脳から失われてしまう。

そして、「この人いなくなればいいのに」という、自分ではコントロール不可能な暗い望みを抱いて毎日を過ごすようになってしまう。

「こう言い返せばよかったせりふ集」を作ることは、相手に焦点を当ててしまうことなので、ほんとうはそんなによくない解決法だと思います。

書いて、振り返る。書きながら、考える。

けれど、言葉を受け止めた両手についたぬるぬるしたものを分析しつつ、「こう言い返せばよかったせりふ集」に「打ち返す」言葉を書き溜めているうちに、「反応」=「次に起こすアクション」ではなく、そもそもなんでこういう発言が相手から出たんだろうという上位概念に意識が向いてきます。

怒りを一旦外に出して落ち着いて、フラットな視点でそれを見ていくと、相手がなぜそういう攻撃をしてくるのか、そもそもそれは私への攻撃ではなく、自分を防御するためなのでは、というような結論に至り、「言い返す必要はないし、気に病む必要もない」という悟りの境地に達します。

悟りの境地に達したからと言って、すべて解決、気持ちはスッキリ、とはいきません。

そういう不快なボールを投げてくる人がそれをやめるわけでもない。

なので、やっぱり引き続き受け止めずにすむ方法も考えないといけない。

身をかわすとか、近づかないとか、時には強烈なピッチャー返しを放ってみるとか。

でも、相手のボールがトゲトゲしていたりぬるぬるしていたりするのが、自分とはまったく関係ないと認識できたのは、このページに文字をひたすら書き連ねたから。

脳をいっぱいにしていたものを、吐き出してスペースを開けられたから。

こういうことを、わたしはペンとノートを介してしか処理できないのです。

ペンを握り、文字を書きながらでないと、降りていけない場所がある。