「幸せを引き寄せる」「夢がかなう」といった文言を冠した手帳術の本が多くあります。
タイトルが煽り気味なだけで、中身をよく読むと「持っているだけで、書くだけで勝手にいいことが起きる」とは書いていないことがほとんどです。
こうしたタイトルの本を見るたびに、出版社さんは、棚からぼたもちみたいに幸せをつかみたい人が手帳本を買うと思っているのかしら~と哀しい気分になってしまいます。
手芸としての手帳
ときどきSNSで起こる手帳論争。いわゆる「見せ手帳」と、自己管理ツールとしての手帳とが、同じ土俵に上げられてしまって、どっちがよいとかよくないとかいう話になってしまうのですが、そもそもまったく別のモノなので、議論も平行線です。
時間をかけてじっくり描き込んだ手帳のページを見ていると、いいなあ、と思います。
私はこの描き込む手帳は、手芸の一種だととらえています。お裁縫とか、編み物とかと同じ、個人的な創作活動。
自分も手芸が好きなので、できた作品を「見て見て!」とSNSに上げたくなるのもよくわかる。
幸福度を上げるという意味では、この手芸としての手帳を仕上げることで得られる幸福感は大きそうです。
線を引く・字を書くことで得る瞑想タイム
まっさらなノートに線をたくさん引いて自分の好きなフォーマットを手描きする、自作手帳としてのバレットジャーナル。
あの作業を毎月あるいは毎週ルーティンでやるのは結構きついと思うのですが、この根気のいる作業を続けて、愛用している方も多いです。
上に書いたような、手芸的な楽しみもあるでしょうし、さらに無心で手指を動かすという手芸的作業によって、瞑想タイムを得られることもメリットのひとつではないでしょうか。
集中してまっすぐ線を引いたり、色を塗ったり、思い浮かべるままに文字を書き連ねていると、頭の中がシーンとしてきます。編み物なんかでもそうですね。リズミカルに単純作業を続けていると、ちょっとしたトランス状態になったりもする。
こういう無心の時間を定期的に得られるならば、それも「幸福度を上げる手帳」と言っていいと思います。
手帳を使うことで感じる「幸福」はいろいろです。
ただ手元に置いておくだけで、紙の手触りや革カバーのなめらかさに幸せを感じる人もいるでしょう。
達成度や満足感を記録する
バレットジャーナルというメソッドを取り入れて手帳を運用することで、「うっかりミス」が少なくなりました。
うっかりミスが少なくなるという行動面でのメリットと同時に、気持ちの面でもよい変化がありました。
箇条書きのバレットジャーナルには、「やることリスト」のイメージが強いのですが、私は行動やできごとに付随する感情もよくメモしています。
おまぬけな失敗をする回数が減って、「ちゃんとできた!」という達成感もこまめに記録することで、自己肯定感を高められます。
嬉しかったこと、楽しかったことを記録し、さらに何度も目にすることで、幸福度も高まります。
自分の状態をただ「見送る」
こうしたポジティブ面は、わかりやすいのでブログにもメリットとして事例をよく書くのですが、ネガティブな感情の処理にも実は記録することが役立っています。
不安のでどころは、「よくわからないから」です。
頭の中でモヤモヤしているものを、書き出してみると、不安の正体がわかることがある。
そういった「自己分析」の助けにもなりますが、分析やら判断やら、ややこしく悩ましいことをしなくても、書き出すだけで気持ちが収まることがあります。
私はこの作業を「見送る」と呼んでいます。
マインドフルネスでよくある、「出来事や自分の感情に意識を向けるけれど、それをどうのこうの判断したりせずに、ただ観る」トレーニングみたいなものでしょうか。
子供の態度に腹が立ったり、それに応じた自分の言動にも嫌悪感があったり、そういったことをガンガン文字にして書きつけていくことで、そのできごとと自分の気持ちとの間にスペースを作っていく感じです。
そのうちに、自分の中にこもった感情の「熱」を外に出すことができる。
不愉快な気持ちは遠ざかりはするけど、消えはしない。反省するけど、だからといって自分の欠点は依然として自分の中にある。それについても、「まあそんなもんか」と、また見送る。
たぶん、気持ちの整理が上手にできる人は、手帳がなくても胸の内だけでこれができてしまうんでしょうけど、私にとっては、ノートという道具を使ってやる方がうまくいくようです。
私にとっての「幸せを呼ぶ手帳」とは
願いが叶うのって、一瞬なんですよね。
好きな人と両想いになった瞬間。
本を出版できることになった瞬間。
でもそこからまたいつもの毎日が続いていくわけです。
報酬系からドバっと快楽物質が放出されるような「夢が叶う瞬間」は、そんなにしょっちゅうは来てくれません。
幸福度を上げる手帳というのは、むしろ、自分の気持ちがダークサイドにおちる頻度を減らしたり、沈んでいる時間を減らしてくれるものなんじゃないかと思っています。
そういう意味では、自作手帳も、見せ手帳も、見せるところのない私の地味手帳も、いろんな形で、幸せを運んできてくれているのだなと考える次第です。
以上、とりとめもなく。