Essentialism: The Disciplined Pursuit of Less を読み終えました。
思っていたよりおもしろかったです。
たくさんハイライトを入れました。
退屈
ツイッターのあるリーダーが著者に投げかけたことばが心に残ります。時間を持て余して退屈する時間がもはや私たちには存在しなくなってしまった。空港で遅れた飛行機を待つ間も、病院の待合室で座っているときも、みんな手元の機器に夢中になっている。
夏休みの我が家の子供たちもそうです。つまんないテレビを見飽きて、することもなくて、畳の上でごろごろごろごろしていたような、ぽっかりとした時間を持て余す経験はもうなくて、数百あるケーブルテレビのチャンネルをかえたり3DSをやったりPCを開いてYoutubeを見たりするのに忙しくて。
Of course, nobody likes to be bored. But by abolishing any chance of being bored we have also lost the time we used to think and prosess.
NOと言う
時間を作り出すために、著者は誰かからの依頼にNOということを勧めます。
何かの機会が自分を訪れたときに、それが自分にとって本当に必要なものかを判断するのに役立つ「質問リスト」も載っています。
バッファ
著者は子供にBufferという意味を教えるのに、車間距離に例えます。車間距離が小さすぎると、何かあったときに車と車がぶつかってしまう。空間的余裕も時間的余裕も同じ。事故を防ぐためのもの。
計画を立てるときに、私はよく土曜をバッファとして空欄にしておきます。
タスクが計画通りに実行されなかったとき、「押し出されてきた」と感じて、バッファタイムにこなしたり、こなせないものは次の週に回していましたが、著者のバッファに関する文章を読んで、「押し出されてきた」=「タスクとタスクがクラッシュしてしまう事故」というイメージが頭にやきつきました。
選択
著者は「選択することで生活に余裕を生み出し、本当に大事なことに集中する」と言っていますが、本当に大事なことかどうかを判断するって、結構難しいです。
ひとは自分にうそをつくことがあります。
楽な道を通るために、自分の目指す場所を自分に偽ったりする。
私はかつて、今から考えてみると「大きな目的のために一番取るべきだった選択肢」を、いろいろ理由をつけて避けて通ってしまいました。「自分がやりたいこと、求めることとは違う」というのが大きな理由でしたが、要は言い訳だったなと今では思います。
お勤め仕事からフリーランスの転向も一度チャレンジしましたが、そのときは「私のやりたいようにやれるのはこのかたちしかない」とがんばりましたが、そのときはうまくいかなかった。結果的に、お勤めをベースにいろんなことをやっていくやり方が今はあっているようです。これから先のことはどうなるかわからない。
自分の本質は何なのか、今一番自分にとって重要なものは何なのか、それは「今やりたい」こととは違うところにあるかもしれない。「今やりたい」その欲求は、何かから逃げるためのこじつけかもしれない。
そういう弱い自分と闘って、一番大切なものを常に選択しながら生きていく。
エッセンシャル思考というのは、よくよく考えるとすごく厳しいことを言っているなと思います。
ビジネス書はシンプルな英語で書かれていて、スッと頭に入ってくるのでとても読みやすいです。
次も読みやすいシナリオ形式のこちら。
ハリポタ!ロンとハーマイオニーの娘のローズがハーマイオニー似でかわいい!
子供に要約をせがまれるのでなかなか進みませんが、ぼちぼち行きます。