仏領レユニオン島の旅



昨年末、仏領レユニオン島を訪れました。

クルーズの寄港地です。
そのため、レユニオン、どこ? 仏領、なに? の状態での訪問となりました。

短い滞在時間でしたが、いい思い出いっぱいの旅でした。

レユニオンとは

仏領レユニオンはアフリカのマダカスカル島の東約700kmのインド洋上にある島です。

東隣り、約200kmにあるモーリシャス島も同様ですが、ハワイ諸島と同じく地殻の変動によりマグマが吹きあがるホットスポット上に生成された火山島です。

16世紀初めにポルトガル人が初めてのヨーロッパ人として発見したのち、その後フランス人が上陸してフランス領と宣言しました。

インドへの中継地としての役割を果たしていましたが、1869年のスエズ運河開通により、その役割は減少しました。レユニオン島は、フランスに属しているため、フランス語が唯一の公用語となっていますが、フランス語から派生したレユニオン・クレオール語が広く使われています。

(参考:https://earth.jaxa.jp/ja/earthview/2011/01/19/842/index.html)

ピトン・ドゥ・ラ・フルネーズへ

船を降りて、お迎えに来てくれていたプジョーの紺色7人乗り4WDに乗り、ピトン・ドゥ・ラ・フルネーズへ出発です。

ピトン・ドゥ・ラ・フルネーズは楯状火山。
植物がないため灰色や茶褐色に見えています。最近では2010年10月14日に噴火し、溶岩を噴出しています。
独特の景観と生態系の保存が評価され、レユニオンの火山と岩壁群が世界遺産に登録されました。

クルーズ船が停泊する港から島の反対側まで、ロングドライブです。

ここがピトン・ドゥ・ラ・フルネーズ。

サンルイ、サンピエールを抜け、ラタンポンで休憩。
道路はとてもきれい。右側通行です。

ガソリンスタンドに併設のコンビニでさっそく買物を堪能。クレジットカードで問題なく支払いできました。(買ったもの、スナック2種、チーズクラッカー、ブルボンビール)

念願のアフリカ圏でのマグナム達成!

ドライバーのリシャールソンさんから、サモサとミートパイとお水の差し入れがありました。パイめっちゃ美味しい。

徐々に標高が高くなります。日曜日ということもあってか、道行く途中でたくさんのピクニック行楽客を見かけました。家族や仲間でのバーベキュー、すごく楽しそうです。

標高2310メートル、雨の多い地域。生えてる草木が高山植物にかわっていきます。

とにかく空模様が刻々と変わります。
山を登るほどにすごい霧。
真っ白で数メートル先が見えない中、ガードレールのないつづら折りの道を登り続けます。

牧畜が盛んな地域だけあり、放牧されている牛を多く見かけます。

クラテール・コメルソン

車を降りて遊歩道を歩くと、いきなりの峡谷にびっくり。

クラテール・コメルソンはエンクロ・フーケの外側にある火口。
フランスの探検家フィリベール・コメルソンの名がつけられた美しいカルデラです。

やっほーを連発します。

プレーヌ・デ・サーブル

プレーヌ・デ・サーブルは、月面のような広大な砂地が2キロ以上広がる火口砂漠です。

写真中央に見えている道をこれから走ります。

すごさは全然写真におさめることができてない。

パ・ド・ベルコンブ・ヤコブ

エンクロ・フーケを一望できる展望台です。標高2300mを超える場所に位置します。

18 世紀のレユニオン島の総督ギヨーム・レオナール・ド・ベルコンブと、実際にこの峠を発見した奴隷のヤコブにちなんで名付けられました。ヤコブの名前消されがち。

流れる溶岩流のあとが生々しいです。小さな帽子のように見えるのはフォルミカ・レオと呼ばれる小さな火口。

ランチからのビーチ

帰りの道は雨に降られました。深い霧の中を進みます。
山をくだるうちに少しずつ霧は晴れ、途中でベーカリーに寄ってイートインランチ。

大きなチキンのキッシュ。めちゃおいしい。
カヌレとシューみたいなのも一つずつテイクアウェイしました。

ねこ。

山を下り、海岸沿いに出たところで、ビーチに立ち寄ります。ガイドさんはブラックアンドホワイトビーチと呼んでいた、エタンサレという黒砂のビーチ。
玄武岩質の砂が広がる海岸は全長約2kmです。

山の上とぜんぜん違い、ものすごい暑さです。山の上は16度くらいですが、海辺は30度。気温差がすごい。
黒い砂は溶岩の砂、ガラスが混じってキラキラしています。白い砂はサンゴの砂。

泳ぐ人はもちろん、ビーチバレーに興じる人たちや、ハンモックでくつろぐ人たちであふれています。

私も波打ち際に水を触りに行ったら、高い波に膝下まで濡れました。

案内してくださったリシャールソンさんは日本が大好きとのこと。
今回、「もしお邪魔でなければ、息子も同行させたい、彼に日本を体験してほしいので」とのお願いを受け、息子くんとも一緒の旅になりました。

日本人の私たちが彼らの関心の対象についてまったく知識を持っていないため、なかなか会話が盛り上がらないという、日本大好きな海外の若い子との交流であるあるな状況になってしまいましたが…、それでも彼ら親子を通じてこの土地の暮らしの様子を垣間見ることができ、とても得難い経験でした。

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