ヴィネタの街を救う



久しぶりに、友人とお酒を飲む機会がありました。

自分の好きなことを語るのは、人と場所を選ぶ

SNSでは共通の趣味を持つ人といつも楽しく会話をしていますが、実際のところ、リアルで自分の好きなことを自由に語れる人はなかなかいません。洋書を読んでいるだけで変わった人だと思われかねない場所もあります。

以前、マッドマックス・怒りのデスロードを映画館に2回(一度はひとりで、一度は夫と)観に行ったと、職場でつい口走ってしまったところ、誰も何の反応も返してくれなかったので、自分は間違ったところで間違った発言をしてしまったのだなと思い知りました。

ひととの距離感は難しい

職場ではできるだけフツーにしています。
あんまり素っ頓狂なことは言わないようにしているのですが、どうもアンテナに引っかかる人がいます。
おそるおそる、少しずつ本性を出していったところ、どうやらとても話が合いそうだと気づきました。

他人と適切な距離をとるのがうまくないので、こちらから距離をつめていくのがこわかったのですが、じわりじわりと、話す時間を増やしていき、お互いに少しずつ自分のことを話し始めました。

最後の日の楽しい時間

野良猫との距離が少しずつ縮まっていくように(どっちが野良猫かわかりませんが)、気が合いそうなことをゆっくりと確かめていたのに、彼女の異動が決まってしまいました。何ということでしょう。
遠くに引っ越してしまうので、もう時間がありません。機会を見つけてはあれこれお話ししました。

そして同じ職場での最後の勤務のあと、お酒を飲みながらゆっくりと、話す時間を持てました。

好きなことや、自分の暗黒時代、本や作家の話、映画の話、政治の話。
マイナーな本の話をしても、ちゃんと反応が返ってきます。
こんなに気が合うことに、なんでもっと早く気がつかなかったんだろうねと、盛り上がるうちに時間はあっという間に過ぎていきます。

ヴィネタの街

ニルスの不思議な旅の中で出てくる、「ヴィネタの街」の話。

コウノトリのエルメンリッヒに連れてこられた砂浜で、ニルスは古ぼけた銅貨を見つけますが、こんなもの、とけとばしてしまいます。そして、突如海の上に現れた、きらびやかな街。豊かそうに見える街の人たちは、次々とニルスに豪華な品物を差し出し、買ってくれと懇願します。しかしお金のないニルスは何ひとつ買うことができません。

そして、この街は100年に一度だけ浮かび上がる、海底に沈んだ街であること、誰かがお金を出してこの街の品物を買ってくれれば、街の人たちは蘇ることができることをニルスは知ります。

蹴とばした銅貨のことを思い出し、慌てて砂浜に取って返しますが、振り返ると、街は姿を消してしまっていたのでした。100年に一度の機会をふいにし、ひとびとを救うことができなかったことを知ったニルスは、嘆き悲しみます。

この話には、驕れるもの久しからずといった別の示唆もあるのですが、小さな私には、ニルスの「銅貨を拾わなかった後悔」が強く心に残りました。しなかったことの後悔は、ずっとずっと残るのです。

足元に落ちている銅貨には意味がある

学校に通う頃は、思うように人間関係を築けなかった私は、大人になっても、仲良くなりたいなと思った人に、急に近づきすぎて壊したり、恐れてしまって近づけなかったりと、なかなか上手にふるまうことができませんでした。

それでもここ数年は、アンテナが反応した人には、仲良くなれるかどうかはわからないけれど、できるだけアクションを起こすようにしています。

チャンスがあれば、「またいつか」ではなく、ちゃんと約束するのです。

大人になると、なかなかすぐに打ち解けたりできないものですが、それでもおそれずに行動を起こせば、大人になっても素敵な人との出会いはたくさんあることを知りました。

多分、何度も失敗はあったと思うのですが、大切な友人ができてしまうと、失敗の記憶はどこかに消えてしまいます。

ニルスの足元に落ちていた銅貨には意味があったように、誰かと出会ったことにも意味があるのです。
話してみなければわからないことがたくさんある。

私が救うのはヴィネタの街ではなく、自分自身。

酔った勢いにまかせて書きました。おやすみなさい。

話に出てきたけど思い出せなかったのはこの本でした。

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