ツイッターのTLに流れてきたこのKindle本。
興味深いテーマです。さっそく読んでみました。
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昨夜寝る前にダウンロードして、今朝の通勤電車の中で読み切ったのですが、一昨日書いた記事とものすごくシンクロしてて、驚いてしまいました。
手帳を使った学習計画の立て方(1) | Mandarin Note
手帳関連記事を読んでくださった方から学習計画の立て方について尋ねられました。たいていのことを三日坊主で終わらせてしまう私の話は、参考にならない気もしますが…。とはいえ、TOEIC対策をやっていた時期は…
ページ数はそんなに多くなく、さっと読めてしまうのですが、ぐさぐさ刺さる言葉がたくさんあって、たくさんハイライトしてメモを取りました。
上のブログ記事を書いたばかりということもあり、自分が学習計画を立てて遂行する上で参考になることがあればと思いながら読みました。
私は後半部分にぐっと引き込まれましたが、前半には目標にたどりつくためのコツがいろいろ紹介されています。私が学習計画を立てるときに気を付けていることも書かれていたので、「そうそう、こうするとちょっとラクになる」と膝を打ちながら読みました。
目標と目的について。
機能する目標は、具体的かつ、ほどよいサイズで、自分が抱える一番大きな目的と接続していなければならない
私たちは、何かの目的を達成するために目標を設定する。言い換えれば、目標を設定する理由は、目標そのものを達成するためではない。目標の達成はあくまで通過点であって、目指すものは別にあるのだ。
しかし、上記で見たように、目標と目的を言い換えても違和感がないことがある。そうしたとき、私たちは失敗を犯す。目的と目標を取り違えるのだ。
目標に束縛され、自尊心を傷つけることになっていないか。
しかし、そこで立ち止まって考えるのだ。たとえば、「月に数万円を使うほど、自分はやせたがっているのか」と。そのお金を別のことに使った方が、人生をよりよく過ごせるかもしれない。
一度スタートさせたことには、特別な(心理的な)重みが生じてしまい、撤退が難しくなる。個人が掲げる目標も同様だ。だからこそ、冷静な判断が必要となる。
夢と目標について。
「夢を叶えて、自分の人生を取り戻そう」と声高に叫ぶ人は、「夢を叶えない人生はつまらない」と考えておられるようだ。
中検1級という目標は、自分にとってどういう意味を持つのだろうと、受験を検討するたびに考えます。
今日ちょうど、Ayumiさんのブログを読んだ時にも、いつも胸にわだかまっているものが浮上してきました。
ほどほどに対策を取りつつ不定期に受験することで、自分の実力の定点観測として利用するのがいいかな、と割り切ろうとする一方で、「そんなのんきにやってたらいつまでたっても合格に手は届かない」と思う自分もいます。
TOEICの定期的な受験をやめるときにも、「もっといいスコアをとってからやめようか」という迷いがありました。大きな目標に手が届きそうなところまで来てしまうと、自分が本当に大切にしたいこと、自分が本当にやるべきなのは何なのか、冷静に判断することがなかなか難しくなります。
私にとっての中検1級・英検1級は、大きな目標に向かう道から見える、きれいなお城みたいなものかなと思います。
せっかくここまで来たことだし、できたらついでに立ち寄りたい。少しくらい時間がかかっても寄り道したいけれど、今いる場所からは結構遠い。
自分がどこに向かおうとしているのか、どこにたどり着きたいのか、ときどきでもちゃんと考えてみないとな、と思います。(そう思う一方で、「よそ見しろ、寄り道こそが人生だ」と小さな王様が胸の中でふんぞり返っていたりもするのです)
そして、千里の道も一歩から。
迷いながらもタスクはこなす。