cowleyさんの記事を拝見し、私も考えました。
听写というのは、文字通り、「聞いて、書き取る」という作業のことを指しますが、詳細な手順は、意外に人によって違うのかもしれません。
私の場合、まず一度全体を聞いて、大まかな内容を把握します。
→この時点で、(本当はもっとしっかり把握してから听写すべきなんだろうなあ)と思いながらも、気が急いて書き取りをはじめてしまうのが常です。「理解すること」より「書き取ること」が優先されてしまうという、本末転倒の悪い見本です。自己分析はできるのに実践はできない私…
書き取りは、まずはセンテンスごとにポーズをかけ、そこまでを一気に書き取ります。
わからない部分は字数分の○を書いておきます。
ノートのラインは2行空け、行間、○の上にピンインをメモします(可能性があれば複数)。
それの繰り返しで、とりあえずは聞き取れなくても巻き戻さず、最後まで書き取ります。
そのあと、だんだん区切りを細かくして、巻き戻しを繰り返しながら書き取っていきます。そのうちにピンインから推測できる語も出てくるので、推測と想像も重ねながら○の空白を漢字で埋めていきます。
↓悩み
この作業にあてる時間が、いったいどれくらいが適切なのか、自分は長すぎるのか、それとも短すぎるのか。空白が全て埋まらなければスクリプトを見るべきではないのか、辞書を引いて自分で答えを探すべきか、あっさり答え合わせをした方がいいのか。
多少は書き取ったピンインと前後の意味とであれこれ推理したりして苦しむべきだろう。でも、どのくらい苦しんだら答えを見ていいのか。このへんの見極めが難しいのだ。
というcowleyさんの悩みはそっくりそのまま私のものでもあります。
それから巻き戻しの是非。細切れにして何度も何度も聴いて書き取ることが果たして本当に有効なのか。
さらに、書き取れない単語の分量も気になります。多ければわからなすぎてストレスがたまるし、少なすぎれば勉強になっているか不安になる。
たとえば私の場合、chinesepodの高級などは、速度もゆっくりだし内容もそれほどこみいっていないので、意味は1度でだいたい理解でき、数回聞けば9割以上正確に書き取ることができます。それでもきちんと書き取ろうとすると、軽く30分はかかるのです。
したがって、難度が上がれば所要時間も比例する。書き写してみればたった(十)数行のテキストの書き取りに、こんなに時間をかけていいものだろうか…と、情け容赦なく時を刻んだ時計を見ては、ため息をついてしまうことになるのです…。
時間短縮のためには、cowleyさんの「カンニング听写」が手っ取り早いのですが、先に引用したように、どのくらい脳みその筋力を鍛えてからあきらめればいいのか、そのあたりの線引きに、また頭を悩ますことになりそうです。
それからもう1点、動詞や名詞など内容把握に重要な語句を書き取ることは皆さん異論はないでしょうが、その隙間で一瞬発されあっという間に見失ってしまう助詞たち。あいつらはどう取り扱えばいいのでしょう。
意味が取れさえすれば聞き取れなくても構わない、という人もいるし、助詞の使い方にこそ中国語の特色が詰まっているのだから、きちんと聞き取って使い方を身にしみこませるべき、と言う人もいます。
私としては、听写のときには助詞はあまりしつこく追わず、あとの音読でしっかりその意味と役割とリズムを体得しようと思っているのですが(うまくいっているかは別として)、どうでしょう。
听写のやり方も人それぞれ。人のやり方を真似たからといって効果も同じように出るかといえばそうでもないんでしょうが、なんとなく気になります。
よろしければ皆さんの意見をお聞かせください。
今日の言葉
慢性子 ぐず ⇔ 急性子 せっかち
英語は書いて身につける―はじめてのディクテーション
岩村 圭南, ブレーブン スマイリー, Braven Smillie