さて。
夏休みも終わり、子供たちの学校生活が再開しました。
9月。
先月は本当に慌ただしい一ヶ月強で、その一部は引き続き9月になっても続くのですが、ふたたび通勤時間を語学タイムとして使えるようになったのは嬉しい変化。
英語聞き読みを再開
Kindleを読みながら、オーディオブックも同時進行で聞き読みしている、All the Light We Cannot See。
Kindle Paperwhite で読むのが好きなので、KindleアプリとAudibleのシンクは使ってません。
この本、朗読スピードはゆっくりめなので、活字を追わずに耳からだけでもなんとか理解できるかなと思いつつ、通勤の徒歩時間は耳から、電車に乗ったら耳と目で、という読み方をしていました。
しかしやはり耳からだけの理解度ではもの足りず、歩いている時間は別のオーディオブックを聞くことにしました。
Wildflower by Drew Barrymore
一度読んで内容を知っているもの、話の筋をきっちり追わなくても気楽に聞けるものがいいなあと思い、選んだのがドリュー・バリモアのエッセイ。
感情豊かな朗読なので、聞いていて飽きません。感情が入りすぎて話のスピードがものすごく速くなるので、ついていくのも大変ですが。
そんなふうに耳だけで楽しんでいたオーディオブックですが、ところどころ覚えのない内容の章がありました。
学習ブランクのあとで感じた成長
エッセイなので、前に読んだときは飛ばし飛ばし読んだのかもしれません。
全く先が読めない内容でも、なんとか話についていけることにびっくりしました。
もしかしたら、前に読んでるのにすっかり忘れていて、頭の底に沈んだ淡い記憶に助けられているのかもしれませんが、それにしても。
細かいところまで100%聞き取れているわけではないですし、聞けていない部分を想像で補っている可能性はあるにせよ、ネイティヴ向けのオーディオブックの内容とスピードに耳がちゃんとついていけてるという感じはとても嬉しい。
チャーリーズエンジェルの主役3人がそれぞれ火を熾さないといけなくて、他の2人、キャメロン・ディアスとルーシー・リューはあっさり成功したのに、自分は全然うまく行かなくて、投げ出したくて泣きたい気持ちをこらえて必死で頑張った話。
なんてことはない話なんだけど、ドリューの半生を重ねてみると、誰もがさほど苦労せずにできることにつまづいて、でも投げ出さないでやり遂げた、頑張った自分自身を誇らしく思う彼女の姿に胸を打たれます。
それを、スクリプトの助けを借りずにちゃんと理解できた私自身もすごい、と、ドリューの朗読のテンションの高さに引っ張られて、素直に思えました。
「中断」は後退や失敗ではない
毎日続けなきゃダメだとか、読めても話せなきゃ勉強したって意味ないとか、テストの点だけよくても、とか、大人になってからの勉強にはいろんな雑音が聞こえてくるし、心を乱されてしまうものですが、それでも続けていたら、「ああ、がんばってきた甲斐があった!」と心から思える瞬間がきっとくるのだと思います。
特に、このところ全然勉強時間が取れていなくて、リスニングの力もすっかり落ちてしまったかもしれないと思いながらの再開だったので、「前に進めている」というこの実感はとてもかけがえのないものになりました。
険しい上り坂を歩き続けて、事情があって立ち止まらないといけなくて、これまで一緒に歩いてきた人たちに置いていかれる、と不安になるかもしれないけれど、でもきっと大丈夫。
続けてきたことは無駄ではなくて、思わぬときにもらえるボーナスポイントの種になってくれるのだと、これまでの経験からそう信じています。
ドリューに励まされた日の、さらに嬉しい再会
そんなことを考えつつ、通勤電車の中でこの文章をポチポチ入力していた日の夜、以前一緒に仕事をしていた人と久しぶりに会う機会があり、私の中国語を活かせる仕事を一緒にしよう!という熱い話になりました。
一緒に働いていた時は、私の方は「この人と一緒に仕事ができたら楽しいだろうなあ」と思っていましたが、そういう話をこちらから出す勇気がなかったし、こちらの押しの強さに相手が引いてしまうのがこわかったのです。
数年を経て、私の中国語の能力というよりも私の歩んできた道を見て、「一緒に仕事をしよう」と言ってもらえたことがとても嬉しかった。
期待を裏切らないためにも、中国語が錆びつかないようにもっと頑張ろう!と思えました。
新しい目標
これまで掲げていた中検1級取得という目標。
私にとっては「他に何もないからとりあえず」置いていた仮の目標に代わって、強烈な目的、目指すべき到達地がいきなり現れてくれました。
こういうことが起こる可能性があるから、人生はおもしろい。
続けるべきだと信じていたことを中断してちょっと寄り道していても、元の場所に戻ってみたら不思議に自分の成長を実感できる。
接点がなくなってしまった人とも、必要なときにきちんと再会できてより強い信頼感で結ばれることができる。
朝このブログ記事を書き始めたときには、忙しくて勉強にブランクができてしまっても、再開した時に意外な熟成を感じたから、必要な時には休んでいいと思うよ、というような内容を予定していました。
1日を終え、書き終えてみれば、中断と再開というテーマは同じなのに、語学という枠を越えて、ずいぶんと大きな気持ちをまとめたものになっていました。
好きなこと、好きな人たちから一旦離れることになっても、不本意な現状にくさることなく、毎日きちんと歩いていれば、少し先の未来でまた、思いもかけなかった良いかたちで再開・再会できるよ、という実感を、今を不安に思っている人たちに届けたいなと思います。