20代後半からのある時期は、私にとって試練のときでした。
自分が招いたものもありますが、ほとんどは突然降りかかってきて、自分の力ではどうにもならなかったことばかりです。
目の前のひとつひとつを片付けていって、今があります。まだ片付いていないこともたくさんありますが、それはそれとして。
あの頃の自分が望んでいたものは、思った通りの形ではなくても、今この手にあります。
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望んでいたものが出現しているというよりは、今手にしているものを大切に慈しんでいるといった方が正しいのかもしれません。
かつて、ヒリヒリするような思いに突き動かされて、目標に向かって必死になっていました。そのせいで、当時手にしていた素晴らしいものの存在を見落としていたことに、今頃になって気づきます。
誰かを越えたい、世間に認められたい、何かを成し遂げたい、という思いで、まだ見ぬ場所を目指し走り続けるのも人生。かつての私、今の私。いろんな生き方があるからおもしろい。
「夢を叶える」というフレーズを最近よく目や耳にするのですが、そのたびに、私の夢はもう叶っているなあ、と思います。
欲しいものはすべてこの手にあり、毎日がパーフェクト、という感覚に、日々気づかないうちにチューニングされている感じがあります。
そしてこういった満ち足りた気持ちに自分を調整していると、現状に満足して甘んじてしまうかなと思いきや、そうでもなく、どんどん新しいことにチャレンジしています。
自分に足りない部分にフォーカスして、そこを埋めていかないと成長できない、過去の自分が足掻いて成長させてきた今の自分、という思いこみは捨ててもいいのかも。
幸せになりたい、と思って行動していると、却って遠のいていくような。幸せって蜃気楼のようなものです、多分。
ひとの生き方に正解はないから、何を選んでもいい。何を成し遂げても、成し遂げなくてもいい。さらなる幸せを追いかけてもいい、追いかけなくてもいい。
人と比べたり、すごい人を羨んだり、そういう気持ちはもちろんあるけれど、自分の動力を少しずつ、燃費のいい負荷の低いものにシフトしていけるといいなと思っています。
まとまりもなく、ただ思いついたまま書いてみました。
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