昔からやけにヤンキーさんたちとウマがあう。私自身は見た目も行いも彼らのようではないのだけれど、なぜか好意を寄せあってしまう。
中学時代、結束の固い女の子グループにうまく馴染めなかった私を気にかけてくれたのはスカートの長い(歳がばれる)女の子たちだったし、嫌いなぬるい瓶牛乳をいつも代わりに飲んでくれたのは英語がめちゃめちゃできるけれどバリバリの不良(リーゼント!)の男子だった。(まあ、ヤンキーならではの「ほっとけない性分」が彼らに私を構わせたともいえるけど…)
以前記事にも書いた、十数年ぶりの奇跡の再会を果たした親友も、転校してくる前の学校では竹刀を肩に登校していたような子だったけれど、なんだかんだでものすごく仲良くなった。
保育園でも、優しげなそつのないお母さんたちより、金髪につなぎのヤンキーファッションフルスロットルなお母さんと共犯者のごとく笑顔をかわしてしまったり。(でも駐車禁止の場所にこれまたヤンキーセンス全開のセルシオを停めて彼氏が待っていたりするとちょっとひく)
私の中のヤンキー性と、彼らの持つそれらが知らず知らずのうちに呼応しているのかしらん、とこの本を読んでしみじみ思う。
ヤンキー文化論序説
もちろんヤンキーというくくりの中にもいろんな成分があり、相容れない部分もあるわけだけれど、確かに日本人のDNAには、なんらかの「ヤンキー遺伝子」が組み込まれているに違いない。
最近自分のヤンキー体質を実感したのは、土屋アンナの言動にしびれ、「やっぱりこの人いいなあ!」と思ったとき。
ヤンキー体質
