陳言と私、そして逝ってしまったカート・コバーン



田原の「双生水莽」の中で、ニルヴァーナを聞くシーンが何度か出てくる。
自分自身の存在さえゆらゆら不確かなあの時期と、あの音楽。
読むたびに主人公陳言と私自身の少女時代が重なって胸が締め付けられる。
この小説を、これまで何度となく読んでいたのに、昨日はじめて、
私が制服姿で友達とイヤフォンを一つずつ耳に突っ込んで彼の音楽を聴いていたとき、ノートに書き写した詞をせっせと訳していたとき、彼は生きていた。でも陳言がそっくり同じように聞いているそのときには彼はもうこの世にいなかったのだ、
ということに突然気づいて、なぜだかひどくショックを受けた。
田原は1985年生まれだもの。カートの死んだ1994年にはまだ9歳。陳言は友達二人と4月5日の夜補講を抜け出し、カートを偲ぶ。
今この小説の中で陳言の聞いている彼の歌と私の聞いていた彼の歌は、彼の死を挟んで、きっと何かが徹底的に違う(もちろん普遍的なものはあるにきまっているけれど)。例えば、ビートルズ。当時両親が熱狂しつつ聞いた曲の数々と、私が居心地のよいリビングで両親のレコードに針を落として聞いた彼らの曲は、同じだけれどもきっと違う。私にとって彼らの音楽は、ジョン・レノンという既に失われた人の奏でる音楽だった。訃報を聞いた記憶すらない私は、仲間はずれにされたような気持ちで聞いていた。誰から?彼と同じ時代を共有した人たちから。
カートが逝ったあの年、私はそれまでの人生で最高に楽しく無責任な日々を送っていたけれど、いろんな意味で「何かが終わった/終わりつつある」と感じた時期でもあった(その前の年には大好きだったリバー・フェニックスも亡くなったのだった)。フー・ファイターズを追いかけてもやっぱり何か違うように、日々は同じ色合いで続いていくけれど何かがもうどうしようもなく失われている。青春時代?気楽なモラトリアム?いや、そんな単純なものではなく。
そんなわけでこのところずっと、NirvanaのMTV Unplugged In New Yorkを聞いている。田原も彼の歌を聴きながらこの小説を書いたのだろうか、などと考えながら。
田原的凡士林舞厅

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コメント

  1. kumaneko より:

    ニルヴァーナがモチーフなんですね、田原の「双生水葬」。やっぱりまだ読むことすらできてないんですが・・・
    自分はニルヴァーナが大ブレイクしたNevermindが出たとき大学入ったところで、あのカバーの赤ちゃんが今18歳だとインタビューを受けていたのを聞いて、通り過ぎた時の長さを思いました。
    ニルヴァーナといえば、しばらく聞いていなかったのを引っ張り出して聞いたのが、Nick HornbyのAbout a Boyを読んだとき。これ、読まれました? タイトルはニルヴァーナのAbout a Girlから取られています。映画はヒュー・グラントとレイチェル・ワイズのお気楽ラブコメになっていますが(音楽もオリジナル)、原作ではニルヴァーナが重要なキーになっています。

  2. Marie より:

    >kumanekoさん
    袖からイヤフォンこっそり出してニルヴァーナを聴くんです。ノスタルジーです…ここ数日発熱してたこともあってか、こんな文章を思わず書いてしまいました。
    あの赤ちゃんが…というニュース、私もどこかで聞きました。ほんとに、いつのまに、時間はたってしまって。
    About a Boyは映画は見ました。原作はニルヴァーナが関係してるんですね。
    映画といえば、カートがテーマのLast DaysもAbout a Sonも見てないんですよ…