「少ないほう」を標準にすると続く(思うように続かない手帳ユーザーの皆さんへ)



以前、ほぼ日手帳を使っていた時は、使い初めは張り切ってたくさん書いて、カラフルに色を塗ったりしていたものの、日がたつにつれて、だんだん続かなくなっていきました。

そして、ほんの少ししか書けない日があると、「こんなんじゃダメだ」と。何も書けないページが続くと、「使いこなせていないなあ」と、がっかりしたりしていました。

あの頃の私がSNSをしていたら、他の人のきれいな「作品」を見ては、自分の地味な手帳と比べて余計に落ち込んでいたりしたかもしれません。

スペースが区切られていない手帳のメリット

バレットジャーナルにして、いちばん気持ちが楽になったのは、「白紙のページが生まれなくてすむ」「無駄なページをつくらずにすむ」ということでした。

一日が終わるまで、その日のページがどこまで増えてもいいし、逆に、日付しか書き込むことがなくても、そのページを無駄にすることなく、次の日の日付を書いて使っていけばいいのです。

バレットジャーナルでデイリーログのスペースを区切ったテンプレートが”Bullet Journal Taboo”のように言われるのは、そうすることでバレットジャーナルのいちばんの良さを打ち消してしまっていることをみんながわかっているからなんだろうなと思います。

バレットジャーナル

「書き込むことがたくさんなくても、書き込むひまがなくても、気にしない」ことに慣れてしまうと、今度は書き込まなかった日付の下に空白を設けることに抵抗がなくなってきました。

ほぼ日手帳の使い方ガイドブックに、「ページが空白でも意味がある」というようなことが書いてあったのですが、その意味がようやくわかった気がします。

少し時間をおいてその日を振り返って、書き込むことがあるかもしれないし。
「あー、余裕がなかったんだなあ」と、ページの空白を見て思うことができるかもしれないし。

見せ場がないのが「ふつう」の毎日

普段使いの手帳には本来、SNS映えするような華やかなページはたまにしか発生しないと思うのです。

SNSに毎日投稿して毎日いいねがたくさんつくようなノートは、もはや普段のノートではなく、いろいろな意味で「プロ」のノートだと私は感じています。

プロがSNSというフィールドでプロの仕事をするのは別段それでいいのですが、それを見たふつうのひとたちがそこをめざしてしまうと、普段の手帳は迷い道に入って抜けられなくなってしまいます。

私自身、ブログに手帳のページをあげることはありますが、やはり写真に撮るページは人の目を意識します。日々のページを第三者に見せてもいいように書くことは不可能です。
それをしてしまうと、本来の手帳の目的が失われてしまう。

いつもおうちで食べるごはんが、毎日レストランで食べるような豪華なメニューである必要は全然なくて、日々の栄養を摂取して、楽しく食べることができればそれでオッケー。
ときどきは、見るだけでワクワクするような手のかかったおいしいものを食べるのも素敵。

そんな感じで手帳も、普段は見せ場もないシンプルな箇条書きが並んでいるだけでも、手帳としての機能を果たしていればそれでじゅうぶん。
ときどきは、コラージュしたり、絵を描いたり色を塗ったり、はりきってSNSに上げたくなるようなページを仕上げてみたり。

SNSで見せてもらえるのがとても楽しい、いろんなおうちのお子さんの成長記録を記したページ。

私自身は当時まったく余裕がなく、手帳に我が子の成長の記録を残したりしていなかったので、うらやましく見ています。
かといって、余裕があれば丁寧な記録を付けたかなと考えてみれば、そんなこともなさそうで。

何を書くか、人それぞれなんですよね。比べてもしかたない。人生は有限です。

少ないくらい、足りないくらいを標準に

手帳を書こうと思ってもなかなか書けない、思うようにかわいくデザインできない、と苦手意識を持っていると、手帳を開くこと自体がおっくうになってきます。

やめてしまってはもったいない。

いつもは必要最低限、ときどきパーッとはりきって。

SNSで見せ合いっこは楽しいですけど、本来の手帳の目的は、きっとそこではないんですよね。

なんていうことのない毎日が、いまの私をかたちづくっています。

「私」を大切に。

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